竹見良二撮影

1911-2001

伊藤 清永

Ito Kiyonaga

伊藤清永は1911年(明治44)兵庫県出石郡出石町(現・豊岡市出石町)に生まれ、日展と白日会を中心に活躍した文化勲章受章の洋画家です。後年は、繊細な色線を無数に重ねて描き出される豊麗優美な裸婦像で知られています。
 岡田三郎助の薫陶を受け、東京美術学校在学中の1933年14回帝展に初出品、初入選。1936年文部省美術展で選奨を受賞、白日会会員となり画家としての道を確立しました。70年近い画業の中で、一貫して女性美の表現技法を追求し、温かみのある独自の画風を築いて見る人を魅了しています。2001年6月5日軽井沢のアトリエで制作後急逝し、制作中の「ばら」数点が絶筆作品となりました。

作品一覧
経王寺門前にて
1926年/油彩/90.0cm×115.8cm
磯人
1936年/油彩/210.0cm×272.0cm
仮睡
1941年/油彩/91.0cm×116.7cm
母の肖像
1946年/油彩/116.7cm×91.0cm
椅子に臥る裸婦
1951年/油彩/P100号
朝のノートルダム
1962年/油彩/116.7cm×72.7cm
妍和
1986年/油彩/112.1cm×145.5cm
もっと見る
略年譜
  • 1911
    兵庫県出石郡出石町(現豊岡市出石町)下谷の曹洞宗吉祥寺の三男に生まれる。
  • 1917
    出石町立弘道尋常高等小学校に入学。
  • 1923
    名古屋市の曹洞宗第三中学林(後の愛知中学校)に入学。
  • 1925
    油絵を描きはじめる。
  • 1928
    愛知中学校卒業。画家になることを決心する。
  • 1933
    白日会10周年記念展に「窓辺静物」「庭の一角」を出品、白日賞受賞、会友に推挙される。第14回帝展に「朝の路地」を初出品、初入選。
  • 1934
    第15回帝展に「秋光」出品。
  • 1935
    東京美術学校油絵科卒業。卒業制作「裸婦。」
  • 1936
    文部省美術展覧会に「磯人」出品、選奨(特選)受賞。
  • 1938
    日仏交換留学生推薦が中止、山田耕筰の勧めにより沖縄写生に出かける。
    「流装」制作。その後、鳥取第40部隊に入隊。
  • 1940
    愛知中学校講堂に東洋一の大壁画完成(焼失)、東京杉並に移る。日本壁画会会員になる。
  • 1945
    終戦、復員。兄巍典に代わり吉祥寺の住職代理をつとめる。
    この間、兵庫県立出石高等女学校の図画教員嘱託となる。
  • 1948
    東京杉並の自宅に戻る。
  • 1952
    現在地にアトリエを構え、本格的に「裸婦」の勉強をはじめる。
  • 1953
    伊藤絵画研究所を新築、後輩の指導をはじめる。
  • 1957
    愛知学院大学教授となる。
  • 1962
    パリにて制作後、アムステルダムのオランダ国立美術学校で制作。
    ピカソのオーナーの画商カーンワイラーに称賛されパリ滞在を誘われるが帰国。
  • 1964
    京都・川島織物メモリアルホールに壁画「私たちの誓い」制作。
  • 1976
    第8回日展に「曙光」出品、内閣総理大臣賞受賞。
  • 1977
    同作品に対し日本芸術院恩賜賞受賞、文化庁買上げ。日展理事に就任。
  • 1984
    勲四等旭日小綬章受章。愛知学院大学百周年記念大講堂に「釈尊伝四部作大壁画」完成。
    日本芸術院会員になる。
  • 1985
    カラービデオ「法輪の美-精美を織る伊藤清永」発行。東宮御所にて皇太子殿下にご進講。
  • 1986
    白日会会長となる。フジテレビで「巨匠の素顔」放映。
  • 1988
    読売新聞大阪本社・読売テレビ共催「発光する裸婦-画業60年-伊藤清永展」を開催。
  • 1989
    生家吉祥寺の山門落成、本堂天上画「飛天」「風神雷神」完成。出石町名誉町民。
    兵庫県文化賞受賞。出石町立伊藤美術館開館。
  • 1991
    文化功労者に顕彰される。日展顧問となる。
  • 1994
    両陛下、植樹祭で但馬に御臨幸の際のご宿泊ホテルに作品を飾られる。
  • 1996
    式年遷宮記念神宮美術館企画運営委員会委員となる。文化勲章受賞。
  • 1997
    「鮮麗なる裸婦の輝き 伊藤清永展-文化勲章受章を記念して-」(読売新聞社主催)を開催。
  • 1999
    NHKテレビ土曜 美の朝「仏陀と裸婦像」放映。
  • 2001
    卒寿記念 伊藤清永展(東京・京都・大阪・名古屋・横浜 高島屋)巡回開催。
    6月5日、急性心不全のため軽井沢病院で逝去。