1911年城崎郡日高町に生まれる。4才の頃豊岡市に転居。1928年家業の印刷技術取得のため上京。1年半程の在京であったが、この東京での生活が河原氏の感性に強い刺激を与え、後の創作活動の原点となる。中でも、初めて見た油彩画、取りわけヴラマンクを見た感動が、河原氏を油彩画制作へと向かわせた。1940年独立美術展に初入選、以後独立美術展、国画会展とその実力を発揮したが、40才を過ぎた頃、ルオーのリトグラフ作品「場末」との運命的な出会いによって、版画技術の奥深さに魅せられる。家業が印刷業だったことも幸いし、独学でリトグラフ技法を取得。1955年腐心の末に生み出した作品「いのり」で国画会版画部門の新人賞を受賞。以後、国内外の数々の版画展で入賞。1963年日本版画協会会員に推挙され、版画家としての地位を確実なものとした。
その作風は、初期の作品から晩期にいたるまで様々な表情を見せる。大きくは、初期の頃のモノクロームの世界が織りなす叙情的な世界、多色刷り版画がもたらす色彩の可能性を追求した中期、そして、こうのとりを主題に「ロマン」を追求した後期と3期に分けられるが、そこには研ぎ澄まされた先端的な河原氏の感性と但馬で暮らしてきた但馬イズムが見事に融合されている。

1911-2005
河原 英雄
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略年譜
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1911兵庫県城崎郡日高町(現豊岡市日高町)に生まれる。4歳のときに豊岡町(現・豊岡市)に移住。
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1928兵庫県立豊岡中学校(現豊岡高校)卒業。
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1930家業のナガセ印刷に務めながら、絵画制作にいそしむ。
杢田たけを氏らと絵画研究会を結成し、島雄たけし氏等を加えて第1回「彩人会展」を開く。 -
1940独立美術協会展初入選。
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1952国画会展初入選、以後5回入選。豊岡市展で市長賞受賞、以後招待作家。
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1953大阪でジョルジュ・ルオー展を見て、ルオーの石版画(リトグラフ)に衝撃を受け、石版画制作に興味を持つ。独学で石版画制作を始める。
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1955国画会展版画部初入選、新人賞を受賞。
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1956日本版画協会展初入選、新人賞を受賞。
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1958日本版画協会展で福井賞受賞。日本版画協会会友に推挙される。
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1961国画会展版画部で2回目の新人賞を受賞。
国画会展版画部推選展。ノースウエスト国際版画展入選(アメリカ)。 -
1963日本版画協会会員に推挙される。
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1972個展を開催。(版画ギャラリー・京都)
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1974「版画4人展」。(KCC画廊・神戸)
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1975日本版画協会審査員を務める。
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1978兵庫県「ともしびの賞」受賞。兵庫県美術家同盟展出品、会員となる。
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1979「現代版画と彫刻展」(兵庫県立近代美術館主催・但馬文教府)
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1981「兵庫近代美術展」(兵庫県立近代美術館)に出品。個展を開催。(ギャラリーあじさい・神戸)
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1988「こうのとり天空を飛ぶ」障壁画を制作(豊岡市総合体育館)。豊岡市公益功労者表彰。
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1989豊岡市「ふる里創生案」で最優秀賞受賞。
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1990オーストラリア国際日本版画展(シドニー)に出品。
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1991ギリシャ国際版画展(アテネ)に出品。画集『河原英雄作品集』を出版。
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1994年賀ハガキにこうのとりの図案が採用される。
「但馬の自然とコウノトリ河原英雄版画展」(大但馬展実行委員会他主催・但馬総合体育館) -
1995「但馬の美術家Ⅰ」(兵庫県立円山川公苑美術館)に出品。
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1999「99但馬の美術家」(兵庫県立円山川公苑美術館)に出品。
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2001C.W.A.J.版画展のポケットダイアリーに作品が採用。
豊岡市展の特別招待作家に認定され、出品。 -
2005満94歳で逝去。